浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 8月第3週分            

2015.8.14(金)

戦後70年談話

 午前中に甲子園で仙台育英対滝川二の試合があった。テレビにかじりついて熱血応援。その甲斐あって、仙台育英が7対1で快勝。3回戦に駒を進めた。いいところまで行けそうな予感がある。

 夕刻は、安部首相の戦後70年談話の記者会見の部分をライブで見た。安部首相の話し方が淡々としていたという印象があった。記者の質問も想定内のもので驚きはない。談話の内容は、入れるべき用語は入れてあるし、あまり議論を招くようなものではないように思える。ただ、「侵略」と「おわび」は、安部首相自身の言葉ではなく、以前の首相談話などを引用する形で述べているのは、ちょっと違和感あり。なぜ、自分の言葉ですんなり言わないのだろう。間接話法で言うのは姑息なやり方に思える。

 明日以降、国内だけでなく、海外からの反響もある。中国と韓国がどう反応するか、少しだけ気になる。


2015.8.13(木)

甲子園の全国高校野球

 朝、散歩に出かけたら、空から細かい雨が降ってきた。「これから本降りになりそうだ」と、とっさに判断して、100メートル行ったところから引き返す。再開以来5日連続の散歩だったが、この辺で一休止。この後、きっちり雨降りだったのだから、休止の判断は正しかった。雨のおかげだろうか、横浜の最高気温は30℃に達しなかった。

 神奈川大学の「障害福祉論ゼミ」の履修者から、ぽつぽつとレポートが届いている。提出締切は明日14日だが、まだ半分しか届いていない。「よもやお忘れでないよね」というreminderのメールを打つ親切な先生(私のことです)。

 レポート届いた順に講評を作成している。その合間に、甲子園の高校野球のテレビ中継を見ている。大会8日目、ここまでのところで気がつくのは、投低打高ということ。これまでの30試合のうち、二桁得点をあげたのが我が仙台育英の12点をはじめ8校ある。最高は開幕初戦の鹿児島実業対北海で鹿児島実業があげた18点。関東一対高岡商は12対10で関東一が勝ったが、高岡商は10点取っても勝てなかった。点数の取り合いで、二転三転さらには四転する試合もある。ホームランが多い。二塁打、三塁打の長打が多い。仙台育英は1試合二塁打10本の大会記録を作った。ふつうなら捕れそうな内野ゴロが外野に達する。金属バットのせいか、反発力の強いボールを使っているのか、ボールがよく飛ぶ。バッターが急に力をつけたということではないだろう。

 こんなことを思いながら、高校野球を見ていると興味が尽きない。各県代表を地元が応援する。ふるさとの高校を応援する私のようなのも大勢いる。道州制になったら、代表10校での準々決勝から始まり、9試合で優勝が決まる。それじゃつまんない。郷土愛もあったもんじゃない。日本の夏に全国高校野球甲子園大会があってよかったと、つくづく思う。


2015.8.12(水)

日航ジャンボ機墜落事故

 日航123便の御巣鷹山墜落から30年目。TBSテレビ夜7時からの特別番組を見ていた。ジャンボ機の異変から墜落までの32分間の機内状況の再現映像は詳細を極めた。4人の生存者が助けだされた瞬間の再現映像も詳細なもの。あれだけの衝撃で4人の生存者があったことは奇跡であることがよくわかる。

 生存者の一人川上慶子さんの兄の千春さんが、テレビカメラの前で当時の状況を語る。昨日、「文藝春秋」9月号で「妹・川上慶子と私の三十年」という川上千春さんの手記を読んだばかりだった。慶子さんは、マスコミの取材にさらされたストレスから回復しない、千春さんは虚無感からか高校の不登校など。事故前、事故後の遺族の人生にも、いろいろあるということがわかった。

 520人が亡くなる、航空機事故としては世界最悪のものである。事故の原因は圧力隔壁の修理ミスであったことがはっきりしている。TBSの番組では、ボーイング社の当時の修理メンバー40人のうちの一人への取材を実現したが、修理ミスであったという証言は得られなかった。

 この30年、国内では死亡事故を含む航空機事故が発生していないことは、特筆すべきことである。願わくは、この無事故記録が永遠に続くことを。そのためにも、30年前の事故の記憶と記録はとても大事である。そんなことを強く思う8月12日である。


2015.8.11(火)

川内原発再稼働

 九州電力の川内原発1号機が再稼働した。原子力規制委員会の新規制基準に基づく初めての原発再稼働である。1年11ヶ月続いた「原発ゼロ」の状況が解消した。誰が再稼働を決めたのかといえば、それは事業主体である九州電力である。基準もクリアしたし、地元鹿児島県知事の了解も得た。原発推進は国策であるが、今回の再稼働に国は直接関与していない。安倍首相の衆議院予算委員会(8月7日)の答弁では、「世界で最も厳しい基準に合致しなければ再稼働しない。川内原発は新規制基準に合致すると確認された」と強調した。国が再稼働を認めたわけではない。九州電力が企業として独自の判断で再稼働を決めたということである。再稼働に伴い、何らかの事故などが起きても、責任は九州電力が取るべきもので、国は関わらない。

 福島原発事故以来、福井県の大飯原発の緊急再稼働はあったが、本格的な再稼働は川内原発が初めてである。この後の再稼働は、今回の例にしたがって進んでいくだろう。だからこそ、もう少し審理を尽くすべきであった。知事の了解は得たが、地元住民の了解は得られていない。そういった場の設定すらなされていない。それでいいのか。安全性は合格したが、(立地自治体の住民の)安心感は確保されていない。それでいいのか。国は直接関与しない立場をとっている。それでいいのか。そもそも、福島原発事故の検証不十分な中での再稼働は許されるのか。その他、省略された手順、手続きはあったはずである。これが前例となって、再稼働第2号、再稼働第3号と進んでいくのだろうか。第1号の再稼働を見ながら、既成事実の積み重ねの恐ろしさを感じている。


2015.8.10(月)

いつもどおりの聴こえの問題

 しばらく前から、耳の聴こえが気になっていた。左耳を塞いでも聴こえは変わらないのに、右耳を塞ぐと聴こえが悪くなる。これがいつもの確認方法である。左耳の鼓膜に耳垢が貼り付いていることがわかる。確認ができたので、いつもの「はくらく耳鼻咽喉科」に10時半に行った。待合室では15人ぐらいが診察を待っている。

 1時間待って生井明浩先生の診察を受ける。先生も心得たものである。まるでルーティンの如く診察が進む。まず、右耳から。「少しついていますね。はい、とれました」。次に右耳。「ああ、これは無理です」。ということで、左耳に朝晩7日間寝耳に水を入れる液体を処方してもらっておしまい。「明後日から夏休みですから、今度は24日にいらしてください」。なんとも丁寧でやさしい生井先生に送られて診察室を出る。さあ、この後は、17日から1週間朝晩の寝耳に水を光子にやってもらって、24日に再来院すればいつものように完治という段取りである。

 今日は、真夏の夜の寝耳に水の件だけでおしまい。そりゃ聴こえませぬ、か。


2015.8.9(日)

8月は鎮魂の季節

 今朝も散歩とラジオ体操に岸根公園に向かう。昨日、久しぶりに散歩を再開したばかり。今日休んでしまうと再開の勢いが殺がれてしまう。その意味では、今朝の散歩には義務感があった。義務感で始まった散歩でも、三歩歩けば楽しさに変わり、散歩を終えれば、快い達成感が心身を満たす。

 一休みして、ぷれジョブ藤沢の月例会に出かける。今月から会場が変わり、先月までの湘南よみうり新聞社より5分ほど先の藤沢市市民活動推進センターの会議室での月例会である。前の会議室より少し狭いが、快適である。今日は20人ほど出席して、活動報告を活発に行った。プレイヤーの元気さが、我々にとっても励みになる。

 今日は長崎への原爆投下から70年目。8月は6日の広島原爆投下、15日の終戦記念日と鎮魂の日が続く。テレビのニュース報道番組、新聞・雑誌の記事では、戦後70年特集が満載である。その中で、町角で若者に、第二次大戦についていくつかの質問をする場面を見てびっくり。「当時の日本の同盟国は?」の質問に女の子が「アメリカ」と答えていた。自民党の若手議員の「デモする若者は戦争に行きたくない利己的な考え」というとんでも発言もこれと同じようなレベルである。今朝のフジテレビの「新報道2001」で片山善博氏が「高校で近現代史を教えないのが問題だ」とコメントしていたが、それだけではない由々しい問題である。

 そういえば、御巣鷹山日航機墜落事故は1985年8月12日。30年目の8月、鎮魂の時である。

 8月の甲子園では、明るい話題も。宮城県代表の仙台育英が大分県代表の明豊と対戦し、大会新の10本の二塁打などで12対1と大勝。この試合はテレビにかじりついて応援していた。甲子園大会では、やはり地元チームを無条件で応援してしまう。そして勝てば、気分がすっきりする。これから何回気分スッキリを味あわせてくれるだろうか。同じ地元の東北楽天イーグルスが今日も日本ハムに負けて5連敗。しばらくは、プロ野球は見ないで高校野球に専心する。  


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