浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記  4月第5週分        

2016.4.30.(土)

高次脳機能障害を知ろう語ろうもっと身近に

 午前中、横浜駅の「そごう」4階の資生堂ビューティサロンへ。7,8年ぶりになる。担当の鈴木さんは、いろいろな思いですっかり感激の体である。「髪少なくとも料金はしっかり取るんだよな」と笑わせているうちに、終わってしまった。7年ぶりにしてはあっけない。

 午後からは、調布まで出向いて、NPO法人高次脳機能障がい者活動センター「調布ドリーム」へ。東大同級生の木谷正道君に「第28回ドリームサロン」に誘われていた。第一部の「こころの唄in調布ドリーム」は、木谷君のヴォーカル・ギター、栗城春菜さんのヴォーカル、竹DSさんの捜索ソロ手話唄、丸山泰明さんのボイバ、三木靖子さんのピアノにより、さとうきび畑、島唄、昴、Amazing Grace, ふるさとなどの演奏が狭い会場に鳴り響く。栗城さんは父親が高次脳機能障害、竹DSさんは聴覚障害がある。丸山さんのボイバは口で作るベース音で初めて聴いた。

 第二部は「ドリーム活動紹介&トレイニーと共に語ろう!」。トレイニーと呼ばれる高次脳機能障害の方20人ほどが、順次自己紹介をする。障害の原因は、バイク事故などの交通事故、高所からの転落、くも膜下出血、脳出血、二酸化炭素中毒での低酸素脳症など。皆さん回復途上であり、障害が外に出てない人もいる。調布ドリームのような場所がもっとあればいいという話もあった。今まで知らないことばかりであり、いろいろなことを考えさせられた。コンサートが終わったら帰るつもりだったのが、ついつい長居してしまったが、有益な時間であった。


2016.4.28.(木)

人の命のはかなさ

 小雨が降る中、築地のがんセンターへ。横浜駅では、朝の通勤に急ぐ人の流れが太く、速いのに驚く。レインコートを着込んだ人がいれば、Tシャツ姿の人もいる。電車内では、汗を拭いている人がいれば、咳き込んでいる人もいる。雨の日の通勤姿はさまざまである。

 今日の診察担当は、稲本先生。3月末でご栄転の田野崎隆二先生に替わっての担当である。田野崎先生と同様に、やさしくて、丁寧な方で安心した。血液検査などの結果は、すべて順調。これでも安心した。

 夜、綱島東照寺にて故藤崎逞さんのお通夜。藤崎さんは、岸根公園でのラジオ体操の古株でほぼ皆勤賞の元気な83歳だった。その藤崎さんが、26日早朝、虚血性心不全で突然亡くなった。「さっきまで元気だった藤崎さんが・・・」。人の命のはかなさを思う。藤崎さんのご冥福を祈る。


2016.4.27.(水)

取材が続く

 まだ今日は終わっていないが、長い一日だった。というより、あわただしい一日だった。

 授業に行くため、出かけようとしたところに「ミヤネ屋」から電話。午後のミヤネ屋の冒頭に電話出演して欲しいという依頼である。案件は、「舛添都知事の週末別荘通い」である。午後は、授業が3時限分びっしり続くので、電話インタビューの時間が取れない。結論をいうと、3時限が早く終わり、そこから4時限の始まる直前までインタビューに答えることができた。

 4時限のゼミには、佐藤進さんがゲストでおいでいただいた。佐藤さんが講義をしている間に、何度も取材依頼の電話がかかってきた。「夜の時間に自宅で」ということでお受けする。

 5時限のゼミでは、佐藤さんに同じ教室で「見学と若干の参加」をしていただき、5時限が終わったところで、佐藤さんと会食。ゼミ生2人も同席させる。昔話だけでなく、若い学生との会話も楽しんで、佐藤さんには満足してお帰りいただいた。

 自宅に返って、電話取材の録音を一つ入れたあと、カメラ回しの取材。こちらは、明朝の番組で使うらしい。いつもの「1時間取材で、使うのは1分」だろう。それでも、夜遅くの取材を終えて、クルー3人にはこれから編集の仕事が待っている。ご苦労さん。

 ということで、一日が終わる。  


2016.4.26.(火)

らい予防法の廃止と大谷藤郎さん

 かつてハンセン病患者の裁判を療養施設内の「特別法廷」で開いていた問題で、最高裁は調査報告書を公表し、「社会の偏見や差別の助長につながった。患者の人格と尊厳を傷つけたことを反省し、お詫びする」と謝罪した。

 このニュースを見て、私は「らい予防法」の廃止に命がけで取り組んだ元厚生省医務局長の大谷藤郎さんのことを思い出した。大谷さんは、私が厚生省に入省してすぐの頃に公衆衛生局防疫課勤務だった時に、隣の検疫課長を務めている頃からの知り合いである。その後、医務局長を最後に1983年に厚生省を退官した後も、「高松宮記念ハンセン病記念館」の設立に尽力しつつ、1996年の「らい予防法廃止の法律」成立を実現した。

 ハンセン病は、伝染力は極めて弱いうえに、特効薬で治療できることがわかっていたのに、日本では、ハンセン病患者の隔離政策が長く続き、国民の間に患者への偏見が残っていた。これがらい予防法の廃止でかなり改善されたとはいえ、病気についての間違った認識と偏見は残ったということである。ハンセン病患者の裁判を「特別法廷」で開いていたのは、裁判官の中にもこの偏見が残っていたことを表すのではないかと思われる。その意味では、最高裁の謝罪はあったが、違憲性を認めないなど、正面からの謝罪でなかったことは残念である。

 大谷さんが、らい予防法の廃止とともに真剣に取り組んだのは、ハンセン病患者の人権問題として強い危機感をもっていたからである。これは、精神病患者の強制入院への疑問と相通ずるものであった。柔らかな関西なまりで正義を説く大谷さんの温顔を思い浮かべつつ、今回の最高裁判所の「謝罪」の記事を読んだ。  


2016.4.24.(日)

ぷれジョブ藤沢が順調

 ぷれジョブ藤沢の4月定例会に出席。3月の定例会はドタキャンしたので、2ヶ月ぶりの出席となる。3月のドタキャンの時には、唐松初男さんが、急遽、私の代役で司会を務めてくださった。唐松さんには、会場の藤沢市市民活動推進センターの会議室の予約を取っていただいている。ぷれジョブ藤沢にとって、頼りになる戦力である。

 今日の定例会も、会場はほぼ満杯。5組のプレイヤー、ジョブサポーターの報告があった。事業所代表の出席はなかったが、そのかわりでもないが、お父さん、お母さんからのお話もいただいた。冒頭には、うる虎藤沢店での6ヶ月のお仕事を修了した琢磨君に修了証を、ジョブサポーターを務めた森垣幹郎さんに感謝状を手渡した。森垣さんは4件目である。ありがとうございます。ぷれジョブ藤沢も4年目に入り、ここまで順調に続いてきたことに満足を覚えながら、今回の定例会を終えた。次回は、5月8日(日)である。  


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