2017.3.25(土)
精神障害者などの地域生活支援に関する研修会
新宿明治安田生命ホールでの全国精神障害者地域生活支援協議会主催の「あみ2016フォローアップ研修会第7弾」に出演した。テーマは「障害のある人も認知症の人も暮らしは地域で」というもの。副題は「大切なのは誇り・味方・居場所」である。もう一つの重要なテーマは「津久井やまゆり園事件がもたらしたこと」というもの。全国から200人ほどの関係者が集まった。
出演は、大熊由紀子、上野秀樹と私。まず、私、上野、大熊の順で各30分ずつ話した。私は厚生省時代のグループホームの制度化など、地域で暮らす障害者の支援について語った。上野さんは精神科医であり、認知症の人たちには住み慣れた家・街での暮らしが必要だとして、在宅診療を展開している。そのための基本的考え方を論じた。ジャーナリストの大熊さんは、精神障害や認知症の人たちへの国の施策がまちがっていることを論じていた。
休憩をはさんで、大熊さんの司会で3人の鼎談を展開した。主に、やまゆり園事件をどう考え、どう対応していくかについて3人で論じた。ミニ講演、鼎談を通じて、さまざまなことを学ばしてもらった。そのことをみんなで考える。いい研修会になったなというのは、自画自賛のようでもあるが、実感ではある。問題はいろいろある。しかし、解決できないことでもない。地道に少しずつでも前に進んでいこうという思いは、みんなで共有した。
2017.3.24(金)
骨髄バンク理事会
夕方から日本骨髄バンクの理事会に出席。真面目なというか、熱心なというか、珍しい理事会である。年に数回の理事会のほかに業務執行会議があって、ほぼ毎月の会議開催となる。しかも一回の会議はみっちり2時間である。今日は正式の理事会で、会議時間も2時間。中身のある議論を展開した。
理事会に出る楽しみは、仙台二高の同級生の加藤俊一先生と一緒になること。今日も会議終了後一緒に返って、途中、東京駅構内の立ち食い寿司屋で食事。待ち時間があったので、寿司ネタの写真を見ながら、加藤君の釣り談義を聞いた。これがまた面白い。魚の種類ごとの釣り方の違いなど教えてもらった。その他、釣りの楽しさ、むずかしさなど、蘊蓄を傾けてくれた。そして立ち食いのお寿司も美味かった。
帰りの足は東海道線。彼は平塚まで、私は横浜まで。グリーン車に並んで座って、車内では白血病の治療の歴史を伝授してもらった。加藤君は、まさにその歴史を体験してここまでに至っている。数々の失敗を重ねても、あきらめず治療方法を確立していく先達の医師たち。その人達の偉業のおかげで、私の命も助かっている。医師たちの名前をたくさん聞いたが、メモをしなかったので忘れてしまった。今度会ったら、もう一度名前を聞こう。
2017.3.23(木)
森友学園籠池泰典氏の国会証人喚問
今日は、WBCの決勝戦アメリカ対プエルトリコ、春の選抜高校野球仙台育英対福井工大福井、国会での籠原氏証人喚問と、テレビをにぎわすイベントが目白押しだった。WBCはアメリカが優勝、高校野球は仙台育英が逆転負けと残念な結果であった。
その中での証人喚問。与党側はこれでけりがついたと言っているようだが、ほぼ全編にわたってウオッチしていた私としたら、大変なテーマが残ったという感じである。そこでの中心人物は安倍昭恵さんである。今回の森友学園問題で重大な役割を果たしていたことは、証人喚問を通じてもかなり明らかになってきた。本人は意識していないかもしれない。意識していないのに、大事な役割を果たしていた、そのことが重大なことである。これからの展開はテレビと週刊誌が主導するだろう。その中で安倍昭恵さんがもみくちゃにされそうな気がする。
2017.3.22(水)
お墓参りと母のお見舞い
お彼岸のお墓参りで、妻とともに仙台へ。風はあるが気温は高い。前日の雨とは打って変わっての墓参り日和。予定を一日延ばしてよかった。お寺に行くタクシーの中ではWBC準決勝の日米対決をテレビで見ていた。タクシー内では1対1の同点だった。
墓参りを終えて、昼食は知事時代に近所の寿司屋としてよく使っていた「やま寿司」で摂った。親方もヨーコさんもお元気で、美味しいお寿司をたくさん握ってくれた。妻と顔を合わせて「おいしい、おいしい」を連発。食事が終わる頃、日米決戦は1対2で決着がついた。残念。
そこから長町に移動して、母の顔を見に「まどか」を訪問した。母は顔色もよく、元気そうで安心した。夫婦で来たのをとても喜んでくれた。記憶がやや混乱しながらも、会話がはずんで、楽しそうだった。お得意の「私、百まで生きてしまうんだろうか」のセリフを繰り返していた。「また来るからね」の言葉を残して、母のところを辞去した。
2017.3.20(月)
とんでもタクシー乗車記
テレビ出演の日には自宅に車が迎えにくる。黒塗りのハイヤーが来ることが多い。今朝は6時15分に、真っ赤なタクシーが迎えに来た。車に乗り込むや、年配の運転手が「どこまで行くんですか」と訊いてきた。どこまで行くかは知ったうえで、迎えにくるのが当然なので、まずは驚いた。「日本テレビまで」と答えると、「日本テレビ、行ったことありません」。それではと、「目的地日本テレビ」とカーナビを入れさせ、「高速を汐留で降りて」と指示した。
汐留で降りて、あとはカーナビの音声指示に任せていた。気が付くと、汐留からどんどん遠ざかっていた。カーナビには「日本テレビサービス」に入っていたらしい。「待って、待って」と車を止めさせ、今度はカーナビに住所を入れさせたら、運転手はカーナビいじるのが初めてらしくて、うまくいかない。「もういい!タクシー乗り換える!降りる!」と怒って決断して降りたのはいいが、タクシーの姿が見当たらない。5分ほど待ってやっとつかまり、今度はまともな運転手だったので、無事、日本テレビまで連れて行ってもらった。到着予定時間を20分も過ぎていた。
とんだハプニングでの局入りだったが、番組「スッキリ」には間に合った。番組では、昨日の東京都議会百条委員会での浜渦武生元副知事の証人喚問についてコメントした。早口であせって話してしまったのは、タクシーハプニングの影響があったのかもしれない。命に関わるような事故ではないのだが、生きているといろいろなことに出逢うものだ。コトが終わってしまえば、こうやって日記に書くような話のタネが一つ増えたことを面白がっている私である。
2017.3.19(日)
浜渦元副知事の証人喚問
午後からずっと、ネット配信されている東京都議会の調査特別委員会(百条委員会)の模様を見ていた。昨日に続いて豊洲市場移転問題についての証人喚問で、今日の証人は浜渦武生元副知事である。
議員は事前の調査をよくしているようで、的確な質問がなされていた。議論の仕方が上手で、かつ理詰めであったのが浅野克彦議員(東京改革)であった。国会議員もこの程度の質問ができたらいいのになあと思って聴いていた。浜渦氏を追い詰めるというよりも、「東京都と東京ガスとの交渉では汚染土壌対策をどこまでやるべきであるのか、合意をするべきであった」という主張が説得力ありだった。
浜渦氏は、すべての質問に対し、大体において誠実に答えていたように見えた。なによりも、休憩をはさんで5時間にも及ぶ質疑をこなしたのは立派である。問題がないわけではなかった。「事後、土壌汚染が発生した場合の処理費用を東京ガスには求めない」という内容の確認書は知らない、報告も受けていないという答弁には、説得力がない。
今日のやりとりでは、浜渦証人に偽証ありと決めつけることはむずかしいと思う。東京都に余計な財政負担をさせた責任は問えるかもしれないが、これも微妙なところだろう。私は今日の証人喚問をこんな感じで見ていたが、違った見方もあるのだろうか。
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