浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記  6月第1&2週分         

2017.6.10(土)

講演会と総会のはしご

 昼から板橋区立文化会館にて、板橋区コミュニティビジネスシンポジウムに出席。私の役割は「自らが輝き、地域で使命を果たす」という基調講演とパネルディスカッションに参加すること。基調講演は、うまく語れなくて、120人も集まった方々に申し訳ないと少々落ち込んだ。シンポジウムは、シニアの人たちに「その経験生かせます」ということで、ボランティアの勧めをすることもねらいであった。私の講演では、その場で初めてお会いした女性(野村さん)に講演の際のホワイトボードへの板書をお願いした。「これが強制的ボランティアという論理矛盾です」といって野村さんを紹介した。突然の不躾なお願いに応えてくださった彼女に感謝・感激である。

 会場の一番後ろの端っこに座っていた女性に突然声を掛けられた。彼女は、「知事さんあのね」の手紙への私の直筆の返信を持参していた。「これを見ていただきたくて、今日参加したんです」とのこと。当時、宮城県にお住まいで、現在は板橋区に在住の女性だった。もう一人、多賀城市に住んでいる百歳の母親に一言書いてくれという女性。20年前に多賀城市から板橋区に移ってきた方からのリクエストなので、一筆書いて差し上げた。講演はうまくできなかったが、会場内でいろいろあって面白かった。

 自分の出番を終えてすぐに、次の会合に向かった。同じく、途中退場してきた男性と池袋駅まで同行。話の中で、彼は千葉県庁を退職して、現在は立教大学の大学院(21世紀社会デザイン研究科)で学んでおり、今から大学のゼミに向かうとのこと。「すごいね、立派だね」と反応した私だったが、もっとすごい人、立派な人のことを思い出したので、彼にそのことを教えてあげた。厚生省の障害福祉専門官を辞めて、マレーシアでの障害児支援活動に身を転じて20年、中澤健さんというんだ。彼の反応は「いやー、すごい」であった。

 池袋駅で彼は立教大学へ、私は市ヶ谷へ。「アジア地域福祉と交流の会」に途中から出席。中澤健さん、和代さん夫妻のマレーシアでの活動を支える会であり、今回は20回目。中澤夫妻は今年マレーシアでの活動を終えて帰国する。総会後の茶話会で乾杯の音頭を頼まれた。挨拶の中で、池袋でのエピソードを紹介し、「中澤さん夫妻は、ほんとにすごい、お疲れさん!」と言って杯をあげた。            


2017.6.4(日)

仙台二高東京一八会「古希を祝う会」

 昼から芝パークホテル2階ローズ・ルームにて仙台二高東京一八(いっぱち)会の「古希を祝う会」が開催された。定例の東京一八会は偶数月の18日前後に開催され、毎回10人ほどが集まる。今年は我々仙台二高第18期生は古希を迎えるということもあり、拡大の会を開催しようということが、2月19日に熱海一泊の古希記念有志の会を敢行した時に決定した。伊藤悦敬君をはじめ幹事役の人たちが、八方手を尽くして集めた連絡先に案内状を送った。それに応じて出席した同期生29名。前野文男、梅津珪三、早坂友博の三君は仙台一八会から参加した。

 会が始まる前に、全員で写真撮影。加藤俊一君が作って皆に配った「出席者と写真席順」の資料には、高校の卒業写真が名前入りで3段になって載っている。その写真のとおり3段になって写真撮影を終えた。出来上がった写真と卒業写真を比べれば、51年の時を経てのbefore & afterがわかる。加藤君の配慮である。

 会は伊藤悦敬君の総合司会で始まった。校歌斉唱、物故者への黙祷のあと、伊藤悦敬君の開会の辞。卒業50周年記念寄付事業の報告が加藤俊一君から、仙台からの3人の音頭で乾杯&献杯。そのあと、加藤俊一君がそれぞれから集めた写真が映しだされたスクリーンの前で、一人2分で近況報告。隣に座った佐藤定亮君は「みんな話がうまいね」と私に囁いたが、そのとおり。自分の写真を見せながらの話だから、興味深い。

 卒業してから今回初めて会う学友が11人もいた。それだけ、「久しぶり」ということになる。こういう会を企画してもらってよかった、ありがたかったというのが、参加者全員の思いである。次は「喜寿を祝う会」になるのかもしれない。            


2017.6.1(木)

仙台へ

 宮城教育大学付属特別支援学校の第48回研究会に合わせて、創立50周年の記念講演を頼まれていた。仙台駅から車で15分の青葉山に校舎がある。久しぶりの青葉山、緑の多い中に校舎がある。講演に参加しているのは、全国の国立大学付属特別支援学校の教員と在校生、卒業生の親御さんが主の150人ほど。「障害者が地域で暮らす共生社会」について1時間半の講演をし、その後15分の質問に答えた。聴衆の年齢層が若いのが新鮮だった。そして、熱心に耳を傾けてくれたのもうれしかった。

 講演を終えて、母親がいるホームに顔を見に行く。5月は来なかったので、96歳の母親には大いになつかしがられた。昔の記憶が飛んでしまっているようだが、身体的には元気で安心した。寂しいだろうなと思いながら、母のところを後にした。

 その後は、いろは横丁の「鳥よし」で恒例の元知事秘書の集まり「いろは会」へ。男性7人、女性7人の元秘書のうち、男性で県庁在職は山内危機管理官と今野議会事務局長の二人だけ。村上さんは完全フリー、井本さんは外郭団体に6年目。女性陣は郁子さん、恵美さんの両名だけ出席。いずれも県庁現役である。その他のメンバーは今日は欠席。一人ひとり現況を話してもらった後は、昔話に花が咲いた。帰りの時間を気にしながらも、いつもどおり楽しい時間を過ごした。横田の親方のおいしい焼き鳥、栗ちゃんの陽気な笑い声もいつもどおりの鳥よしであった。          


以前のジョギング日記はこちらから



TOP][NEWS][日記][メルマガ][記事][連載][プロフィール][著作][夢ネットワーク][リンク

(c)浅野史郎・夢ネットワーク mailto:yumenet@asanoshiro.org