宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

浅野史郎メールマガジン バックナンバー

浅野史郎メールマガジン ━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 2002/3/6
http://www.asanoshiro.org/                 第26号
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

    メールマガジン配信システムの緊急メンテナンスにより、
       発行が遅れましたことをお詫びいたします。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
> <<目次>> <

 [週刊コラム・走りながら考えた]
  ○「ベガルタ仙台、J1デビュー」(浅野史郎)

 [お知らせ]
  ○メルマガ登録者、相互リンク募集中です。

____________________________________________________________________
> [週刊コラム・走りながら考えた] <

 ○「ベガルタ仙台、J1デビュー」(浅野史郎)

 3月3日のひな祭りは、ベガルタ仙台のJ1デビューの日となった。仙台
スタジアムに満員の観衆を集め、東京ヴェルディと戦い、結果は1対〇でベ
ガルタ仙台の勝ち。初戦をこんな勝利で飾るとは、まことにもって幸先がよ
い。

 思えば長い道のりであった。Jリーグが発足したのが、丁度十年前の平成
4年。ここ宮城県にも、Jリーグのチームを作ろうという動きが、私が宮城
県知事になる前あたりから出てきていた。県庁内では、当時通産省から宮城
県の企画部長として来ていた加藤周二さんを中心に積極的な動きをしていた。

 平成6年になって、その動きが一つの山場を迎える。チームのプロ化が是
か非かという議論に、結論を出すべき時期になったのである。プロ化するな
ら、県が相当の財政的支援をしなければならない。果して、採算はとれるの
か、一体いつJリーグに昇格できるのか、どれだけの企業の支援が得られる
のか、そして、そういったチームのために税金を投入することが適当なのか
どうか、「?」がいくつもつく状況であった。

 迷いに迷う私が、最終的に「ゴー」と決めたのは、実は、あるつぶやきが
聞こえてきたからである。「宮城県の人は、いっときは調子よく行け行けと
いうけど、肝心の時になると、口だけで金も出さないし、あっという間に冷
めてしまうんだから・・・」という声であった。「だから、やめておけ」と
いうことが含まれていたように思う。

 こういったことを言った人は、生粋の宮城の人である。ここで、「やめた」
ということにしたら、この人の言っているようなことが、ますます定着して
しまう。一種の敗北主義である。一事が万事、前向きなプロジェクトが提起
された時は、すべてこの敗北主義で、結局は「やめておこう」ということに
なりかねない。

 そういった流れへの抵抗という意味があった。先行きに成算があったわけ
ではない。毎年毎年、「どうしますか、来年もやりますか」ということを、
関係者に問い掛けていく。そうやって、恐る恐る、進めるものなら進んでい
こう、そう決めたのである。「ブランメル仙台」というチーム名もその時決
めたが、残念ながら、商標登録の関係から、数年後にこの名前をあきらめな
ければならなくなった。

 まずは、JFL(日本フットボール・リーグ)に加入しなければ話になら
ない。その昇格を賭けた試合の大詰めは、平成7年の1月下旬の対ジャトコ
戦であった。これで負ければ、このシーズンのJFL昇格はない。Jリーグ
を幕内とすれば、JFLは十両。つまり、負ければ幕下で戦わなければなら
ない。とてもプロとしてはやっていけない。戦いの場は、北九州市。私も、
飛んで行った。

 「平成7年1月下旬」というのは、どういう時期かと言えば、阪神淡路大
震災の数日後ということである。「飛んで行った」時に、神戸の上空で一体
あなたは何を考えていたのか。そういう厳しいご批判のお手紙もいただいた。
「こんな非常事態に、サッカーの応援とは、一体どういうことか」というお
叱りである。

 それだけ、私とすれば勝ってもらいたいの一心であったということである。
そして、見事にその戦いに勝った。その時のうれしさは、今回のJ1昇格と
比べても、ひけをとらない。「これでなんとかやっていける」という安心感
が大きかった。

 ブランメル仙台のその後の戦いぶりも、順風満帆であったわけではない。
チームとしての成績もさることながら、経営的にも、毎年の大幅赤字であっ
た。「身の丈にあった経営」ということで、運営会社である「東北ハンドレッ
ド」の松木伸一郎社長には大変な苦労をかけた。松木さんは、当時は県の公
営企業管理者。初代の佐々木茂社長退任の後任探しが暗礁に乗り上げた中で、
火中の栗を拾ってもらうことになった。慣れない球団運営に尽力して、経費
の大幅削減を見事に果したが、一方で戦力の大幅低下は回避できた。その功
績はとても大きい。

 その後、火中の栗を拾ってもらったのが、現社長の京極昭さんである。ま
さに、ご自分から飛びこんでこられた形であった。そして、今回のJ1昇格。
「身の丈に合った経営」ということは、ケチケチ経営、つまりは限られた経
費で最大の成果を上げるということである。そういった制約のある中で、実
によくがんばってもらっていることに、感謝感謝である。

 ベガルタ仙台。「仙台」の名が冠されていることからもわかるように、シ
ティチームである。宮城県としても、最大限の支援を惜しまないが、中核は
仙台市、そして仙台市民である。関係者みんなで盛り上げていきたい。「サ
ポーター」という呼び名にふさわしい応援の仕方を心がけたい。好調時だけ
でなく、不調、不遇の時こそサポーターの真価が問われる。

 A Supporter in Need is A Supporter Indeed, 大変な時のサポーターこそ
が真のサポーター。この日本一のサポーターの支援に支えられて、ベガルタ
仙台は宮城県民に勇気を与える活躍をしてくれるだろう。

____________________________________________________________________
> [お知らせ] <

 ○メルマガ登録者、相互リンク募集中です。

 このメルマガも登録者数が660名を超えました。もっと多くの皆様に浅野
史郎の「生」の声を届けたいと思っておりますので、お近くにご紹介いただ
ければ幸いです。

 相互リンクも随時募集中です。お気軽にこちらまでメール下さい。
 mmz@asanoshiro.org

____________________________________________________________________
> [編集後記] <

 ベガルタ仙台のJ1初勝利の瞬間は、勤務先のテレビの前でした。学生の頃
は、よくスタジアムに行っていたのですが、社会人になってからは、二度し
かスタジアムに足を運んでいません。J1への昇格を決めた京都との試合も選
挙事務所のテレビで見ていたことを思い出しました。

 今年こそは、スタジアムでベガルタ仙台を応援しようと思っています。人
気チームとなった今、チケットの予約をしなければいけないのが、うれしい
ような悲しいようなという感じです。

 それでは、次号の「浅野史郎メールマガジン」をお楽しみに。 (一馬)

                        皆さんのご意見、ご感想をお待ちしております。
                            メールアドレス mmz@asanoshiro.org

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
浅野史郎メールマガジン http://www.asanoshiro.org/
発行:浅野史郎・夢ネットワーク メールマガジン編集局 渡辺一馬


TOP][NEWS][日記][メルマガ][記事][連載][プロフィール][著作][夢ネットワーク][リンク

(c)浅野史郎・夢ネットワーク mailto:yumenet@asanoshiro.org