浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

浅野史郎から

2009.12.10 

 厳しい病気と闘っている時に、「治って元気になったら何をやるか。それを考えることが病気と闘うエネルギーにもなる」ということが、よく言われます。そのとおりだろうなと思います。私も、まずは、大学で教鞭を取ること、ラジオ・テレビ出演、講演活動に戻りたいということがあります。それに加えて、今回の闘病で知った自分の病気のこと、患者や医療機関のあり方、日本全体の医療制度の問題点などを考え、そして、それを外に向かって伝えることは、「やりたい」という個人的レベルの願望を超えて、こういう運命に出会った者の義務なのかもしれません。

 そういった公的な部分に属することは、今回は、これ以上は書きません。個人レベルでの望みでは、いろいろな友人たちに会いたいとは思います。ただ、退院しても、しばらくはアルコール厳禁ですので、アルコール抜きの付き合いになります。それでは、ちょっと調子が狂うかもしれません。ついでに言えば、今回の入院以来、アルコール類は一滴も口にしていないし、そもそも、まったく飲む気がしません。半年以上のノーアルコール期間というのは、アルコールに手を染めて以来、私の人生で初めての出来事です。

 ことのついでに、食べ物、飲み物のことを書きます。「退院したら、何を食べたい」と聞かれても、思い浮かぶものがありません。お寿司というのが定番のようですが、生ものですので、半年は絶対に食べられません。そうなると、山形の板ソバ、おいしいラーメン、蕎麦屋のカツどん、和幸のヒレカツ、我が家のカレーライス、韓国料理の辛いチゲ(なべ)、仙台いろは横丁の「鳥よし」(022−223−5356)の焼き鳥、ケンタッキー・フライド・チキン、いい肉を使ったすき焼きなど。最後のすき焼きを除いては、「高級」というものはなにもありません。高級な料理を知らないということもありますが、こういう状態のときに食べたいというものは、やはり比較的手軽なものになるのかな、それとも、これは私だけの現象なのかなと迷うところです。

 その他、退院したらどこに行きたい、何をしたいといったことは、ほとんど頭に浮かんできません。例外としては、時々夢に見るぐらいだから、走ること、願わくば、フルマラソンをもう一度走ることかもしれません。100メートルの散歩から始めて、三年経ったら42キロ走れるようになるだろうか、5年かかるだろうか、そうなると私も70歳近くで、まずは年齢的に無理になるだろうか、などと考えています。

 それも含めて、強烈な思いではありません。今やるべきことは、病気を完全に治すこと。これが最優先というより、それ以外考えないという状態に近いと思います。だから、それ以外のことに、考えが向かないのです。それは、自分としては、心の平静を保つということからも、悪いことではないとは思っているのですが。

  今年も残すところ、あと何日と数えられるぐらいに押し詰まってきました。多くの人は、そういう思いでカレンダーを眺めているでしょうが、私としては、病気回復まであと何日という思いで眺めています。最近、「夢らいん」での報告を再開してから特にそうですが、心のこもったご声援のメールを頂戴しています。本当にありがたいことですし、力づけられます。改めて、この欄を借りて感謝申し上げます。


2009.12.1

 12月になりました。クリスマスだ、忘年会だと、不景気とはいえ、世の中は浮き立っているのでしょうが、病室の私には遠い出来事です。別にうらやましいというほどではありませんが。そうそう、「シローと夢トーク」特番の第4弾でクリスマス特集をやります。12月23日(水)18時からです。

 「師走」ですから、先生方も走り回っている忙しい時期ですが、大学を休学中の走り回れない「先生」としては、心苦しいやら残念やら。ただ、今やるべきことは、治療に専念すること。模範的な患者たらんとすること。そう思い定めて、他のことは、考えの外に置くようにしています。

 前回、11月23日付の報告内容について、Tさんからご指摘がありました。Tさんも、HTLV−1ウイルス陽性、つまりキャリアとおっしゃっています。Tさんに訂正したほうがいいと指摘された記述は、「病院外に出て感染のリスクを増やすよりは、おとなしく病院にいたほうがいい」という部分です。これですと、私が感染源になって、ATLを他人に移すリスクのことを言っているようにも読めます。これは、まったくのまちがいです。私の言いたかったのは、私の血液中の白血球数が下がっている状態でもあるし、病院外に出て、新型インフルエンザなどに感染すれば、治療はストップしなければならないし、命にも関わるという意味でした。

 この機会に、私の病名である成人T細胞白血病リンパ腫(ATL)について、ちょっとだけ書きます。この病気は、全国に200万人近くいると言われるHTLV−1ウイルスのキャリアのうちの数%が発病するものです。ウイルスがリンパ球に取り付いて、それが増殖し、免疫をつかさどるリンパ球が無力化するために、免疫不全を起こします。ですから、感染症に対する抵抗力がなくなってしまいますので、なんらかの感染症によって命を落とすことになります。

 ATLのAはAdult(成人)ということで、若い時期の発病はとても稀です。私も60歳を超えて発病しましたが、大部分が高齢で発病するのが、この病気の特徴です。 HTLV-1ウイルスのキャリアの大部分は、一生発病することがありません。ウイルスは、主に、キャリアである母親の母乳を通じて、子どもに伝わります。性行為や輸血での感染もありますが、そうやって感染したキャリアが、ATLを発病した例はないということです。

  ですから、HTLV−1キャリアの女性が母乳をやることを避ければ、子どもへの感染は防げるし、この世からATLという病気をなくすことが可能なのです。九州あたりでは、妊婦に対するHTLV−1検査をしていますが、全国的に検査は広がっていません。HTLV−1のキャリア、そしてATLの患者は九州地方に偏在していて、一種の風土病のように見られていた時期があり、そのために、医療機関も含めて、九州以外では関心が低かったということも、こういった扱いの差異の原因だったと思われます。

  私も母親も、九州には地縁・血縁はまったくありません。そんな私、そして母がキャリアだったということも示しているように、そして、最新の調査でも、キャリアは全国的に広がっているということを見れば、地域を限った風土病のような種類の病気では断じてありません。まずは、この認識を厚労省、行政当局、医療機関にしっかり持っていただきたいと思っています。

  今回は、私自身のことよりも、ATLのことについての部分が多くなりました。私の病状、治療状況については、ともかく順調に推移しているということだけ報告させていただきます。そして、毎回いただくお励ましのメッセージには、本当に勇気づけられていることも付け加えたいと思います。ありがとうございます。

 

 


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