浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

 

月刊福祉 2002年6月号
ウォッチング2002から転載
上智大学文学部教授・「月刊福祉」編集長
山崎泰彦氏との対談記事

時代の推移につれ、福祉のシステムはもとより、
その考え方や手法も大きく様変わりを続けている。
今や福祉はそれだけで終結するものではなく、
現代社会を巻き込んで、広く人間の生活を視野に
入れて考えるべき問題といえよう。そこでさまざまな
分野で活躍しているエキスパートたちと通じ、
新たな視点を拓いていく。
 

       福祉社会をつくる自治体の力

◆「生涯、障害福祉課長をやりたい」

山崎  本日はお忙しいところ、時間を割いていただきありがとうございます。浅野さんが宮城県知事になられたのが平成5年11月21日で、今は3期目ですね。浅野さんが厚生省年金局におられた昭和60年に年金に関する大きな改正があり、その4つの柱が基礎年金の導入、女性の年金権の確立、給付と負担の適正化、そして障害福祉年金の障害基礎年金への切りかえでした。浅野さんはその中で特に障害基礎年金の創設に大きく貢献されております。

 その後、北海道庁でも福祉課長をされ、厚生省に戻って障害福祉課長に就かれた。その時いつもおっしゃっていたのは、生涯、障害福祉課長をやりたいということでしたね。私たちとしては今、浅野さんは福祉の世界の代表選手として知事をされていると思っているのです。著書でも、ご自身の専門は障害福祉だと語っておられましたね。

浅野  その頃の熱き思いなどを数々思い出しますが、障害基礎年金をつくった際にこれで障害者の生活が大きく変わるだろうという予感はありました。次いで、それを北海道で検証することがきたのは神様のめぐり合わせだなんて思っています。道庁で2年間障害福祉課長に就き、厚生省に戻った際にも障害福祉課長として、道庁で得てきたものを厚生省で活かせといった神様からのメッセージのようなものを感じて、喜び勇んでそのポストに就きました。

 いつも言っているのですけれども、それぞれのところで大変楽しく有意義にやり、その気持ちをそのまま延ばしていったら知事になったという感じがしています。

山崎  知事になられた時も、日本一の福祉先進県にしたいとおっしゃいましたね。

浅野  知事になった時の経緯はかなり慌しいものでした。11月4日が出直し知事選挙の告示でしたが、11月1日に辞表を出してきて3日間しか猶予がなく、記者会見で「公約は何ですか」と聞かれて「ありません」と答えたんですよ。私は正直に、考えていないことは考えていないと言うものだから、それはまずいと周りからも言われました。そうすると自分の本籍地は障害福祉だから福祉先進県にしようと自然にでてきました。ただし、先進県という言い方はアピール性に乏しい。その前に「日本一の」と付けて迫力を増したのが、ずっと今も続いています。自分を鼓舞する意味もありますし、逆に、そんな大言壮語したのにさっぱり進んでいないじゃないかなんて言われたりしますけれども、そんなような経緯の中で出てきた言い方でした。

山崎  今でもその志は持っておられる。しかし、知事になると福祉だけでなく何もかもに関わることになりますね。

浅野  障害福祉課長の時には、大げさに言えば、寝ても覚めてもそればかり考えていました。明日も早くまた仕事したいなと。しかし、知事業では特定のフィールドだけにどっぷり浸かってというわけにはいきません。次から次へと仕事が流れてくるというイメージなものだから、1つのことに関わっている気持ちがなかなか生まれなくて、それは半分言い訳、半分つらいなという部分もあります。

 

◆省庁の役割は情報のプールとその提供

山崎  さて、9年目を迎えた知事職から見て、かつて長くおられた厚生省、今の厚生労働省について今どうお感じになっていらっしゃいますか。

浅野  見る目が変わった部分がありますね。これは立場の違いということなのでしょうけれども、私は社会保障審議会の委員としてだいたい毎回、地方分権に関する発言をするんです。先日も地域福祉計画の策定の議論の際に、国の地域福祉計画にならって県の計画をつくり、それにならって市町村の計画をつくろうという発言があったので、国は国でつくっていいし、県は県でつくっていいけれども、それにならってという関係ではない、と発言しました。

山崎  逆に、現場から積み上げてていくのが本来でしょうね。

浅野  ほんとうはね。そもそも補助金というものはどうして要るのでしょうか。これは私がまだ厚生省の現役の時から考えていたことです。当時、自分の課を眺めると、大蔵省から補助金の原資となる予算を取ってくることも含めて、業務の9割は補助金分配業をやっていました。

  しかし、いま地方分権の時代の中で、省庁に期待されているのは情報だと思うのです。例えば障害福祉の情報について、これからの障害福祉の進むべき道はこういうものだ、哲学も含めて、ノーマライゼーション、人権擁護、残存能力の評価、とかね。例えば北欧でこういう仕組みがあって、これは有用ですよとか、あの県でやっている事業は大変有用だから見に行ったらいかがですか、ということも情報です。省庁はそれで生きていくべきなんですね。

 厚生労働省に各県から訪問者が来る。突き詰めて言えば、それは実は補助金をもらいに来るわけです。その時に、かつては土産を持参される方がほとんどでした。私はその当時、課員に「土産ではなく、土産話を持ってきてくださいと言いなさい」と告げました。例えば宮城県の人が来たらわが県ではこんなことをやっています、こんな人がいますというような情報。これが47都道府県から来れば、かなりの情報のプールができます。そしてまた、そういう話を他の県にも伝えられる。そうすることによって、あのセクションには情報が集まるとなれば、その分さらに集まってくる。それが省庁の仕事の仕方だと思い、それは相当実践したつもりです。

 まだ補助金分配業は残っているようですが、それに忙殺されるがために、本来やるべきことができないでいるのではないかという思いが強くあります。補助金のシステムがあるから人が寄ってくるというのは一つの武器ですから、そこでさらに情報を集める努力をしてほしい。厚生労働省には頑張っている人たちも多くいますからけちをつける気はないのだけれども、ただいずれは補助金分配業ではなく、福祉のフィールドを見越した業務の仕方を心がけた方がいいのではないかと思います。

山崎  浅野さんは、課長就任当時、全国を飛び回って情報を集められましたね。そこで、今もおつき合いが続いているいろいろな仲間と出会えたのですね。

浅野  私は意識して目立つ課長になろうと思ったことがあります。あいつのところに行ったら何となくいいことがありそうだと思わせたらしめたものです。

 宮城県庁の職員にも同様に、魅力的な職員になりなさいと言っています。あいつのところに行ったら何かおもしろいことになると思われるようになったらこっちのものなんですね。

山崎  そうですね。ところで、補助金に関連して言えば、私は地方交付税のほうが今の補助金よりもいいと思っています。すべて地方交付税回しにして、一般財源化したらどうかと以前から言っているのですが、いかがでしょうか。あるいは福祉関係だけの福祉交付税を厚生省がつくったらどうかと言ったこともあるのですが。

浅野  いえ、それはだめです。山崎さんの最初のほうの話が正解なんです。福祉交付税をつくれば、結局それをばらまくわけだから、その地域において福祉に充てる財源の割合がある程度決まってしまいます。地方交付税は財源調整の仕組みで、まさに現実に財源が偏在化しているので、自前の地方税だけで、そこからの稼ぎだけでやりなさいというのは現実的ではありません。連邦制を採っているドイツでも、どこの国においても何らかの形の財源調整を行なっているわけですから、これは必要であり、ひもつきにしてはいけないのです。福祉交付税は論理矛盾みたいなもので、一般財源化していないわけですから。

 

◆「100%障害者の味方です」

浅野  私が厚生省で仕事をしている時はすごく幸せでした。特に障害福祉課長の時はめくるめく1年9か月と言われたぐらいで、あなたたちもそういう人生を送れるんだよとすべての後輩に言いたい気持ちです。障害福祉の仕事はすごく楽でした。それはどういうことかというと、何かにつけても必ず対置される存在というものがあるものです。例えば農林水産省の畜産担当の課長は自分は100%畜産農家の味方だと言えば、消費者の姿はどこにあるんだと言われます。それが障害福祉に関しては、100%障害者の味方ですと言っても、表向きおかしいと言う人はいない。だから、そうすればいい。それを、訳知り顔に、役人として対峙してしまいがちです。あなたたち、そんなこといったってお金もないんだし、なんてことは財務省に言わせればいいことです。

山崎  浅野さんは課長時代、関係団体の方にいつでも会いましょうと積極的に言われていましたね。

浅野  人生処世訓的に言い表すと、こんなに恵まれたポストはないと思います。君が福祉のポストに就いているのはいろいろな事情があってのことだろうけれども、すごくラッキーだ、人生でなかなかこんなラッキーな場面に出会えない、と言いたいですね。そのうえで、皆まじめだからもちろん一生懸命仕事をしているけれども、方向を間違ったら全然違ってしまうから没入しなさいと伝えたいですね。

 私は自分で障害福祉は戦いだとの認識をもちました。戦いの敵は、言ってみれば世の中の障害者に対する無関心です。これに対しては障害者本人、親、施設関係者、学者やマスコミ、そして霞ヶ関の役人も含めていろいろな立場の人がスクラムを組んで、同じ方向を見て戦っている。そういう認識をもったのはあの時が初めてでした。すごく楽というか、血湧き肉踊る体験で、全く罪の意識もなく、私は国士であると思ったし、誰に気兼ねすることもありませんでした。

山崎  そういう仕事ならやってみたくなりますね。

浅野  そうそう。ですから、少なくとも当事者等と対峙はするなと。省職員はまじめだから、何か要望があってそれに応えられないとその人が自分の責任だと思ってしまうのでしょう。そうでないということは要望を言っているほうだってわかっています。要するにお金がないからというのは、その人の責任ではないのですから。

 

◆リスク分散と地方自治

山崎  浅野さんは地方分権とはリスク分散だというお話をよくされていて、私も大変感銘しました。要するに地方にいろいろ自由にやってもらって、成功する例もあればそうでない例もある。失敗した場合には成功した例に学べばいいのだ。国がすべて基準を決めて、全国画一的にやるのでは思い切ったことをやれないだろうし、仮に失敗したら全国一斉に大変なことになります。かなり進んでいる介護保険制度にしてもまだ画一的で、地方を信頼していないのかなと感じられる部分があります。

浅野  介護保険について言えば、そうせざるを得ないシステム的な構造があって、財政調整が入っています。お金の流れの部分での限界はあるので、今の介護保険の仕組みの中で自由をくださいというのは限界があると思っています。

 リスク分散ということでいま私の頭を占めている問題は、教育です。これはわかりやすい例なので言うのですけれども、知事をやっているなかで、中央集権、一律という概念が一番徹底しているのが教育の分野であることに気がつきました。 それは教育の機会均等という概念の呪縛です。どの地方の人でも、僻地であっても大都会であっても、同じ子どもだから同じ教育を受けるのは当然という考え方です。

 例えば、いま小学校は40人学級で、それは全国一律です。宮城県だけが何とか工夫をして30人学級にするというのは、法律が変わる1〜2年前まではだめでした。

山崎  それは県が独自の財源を使って行ってもだめだったのですか。

浅野  そうです。つまり機会均等というのは、誰かが劣悪な教育機会を得ることもだめだけれども、どこかだけがいい機会を受けるのもだめという哲学で、そういう意味でも教育の機会均等を吟味しなければいけないものでした。

 リスク分散に関しては、それはいろいろな弊害があって、例えばそれはゆとり教育です。 新学習指導要領になると、中学校・高等学校では必修科目がぐっと少なくなって、選択要素が多くなります。また、小学校では台形の面積の出し方までは必須でないとか、覚える漢字の数もぐっと少なくなります。それから、総合的な学習も入ります。

 ゆとりは大事、生きる力を与える事も大事です。ただ、私がいちばん気掛かりなのは、それを全国一律に一斉にやるのは乱暴なのではないか。これらはおそらく誰でも本当にうまくいくかどうか一抹以上の不安をもっていて、絶対の自信はないはずです。それに方法論も確立していないのだから、並列的にいろいろな特徴があっていいし、統一することまでは考えなくてもいいのではないか。そういう部分をリスク分散という観点から心配しています。

 福祉の分野にもそれはあてはまると思います。グループホームや宅老所が多くできてきた頃に、どこにもスタンダードはなかったですし、今でもないようなものです。宮城方式や岡山方式などは個別のものであって、宮城の鳴瀬町の宅老所「のんびーりすみちゃんの家」はこういうやり方で、と皆自由にやっている。多様性の中でうまくいっているのもあるし、そうでないのもあるというリスク分散が、そのうち、こういうやり方であればうまくいきそうだということがわかってくる。次第に収斂されて、そして一つスタンダードができていく。それもがちがちなものではなくて、いろいろなやり方の中で、これはこういうメリット、デメリットがありますよという多様性がある方法です。そういう意味で、補助金を出す間尺に合わせるためには一律にこうやりなさいという方式は、リスク分散という観点では大いに首を傾げたい部分があります。

山崎  今、住民の一番身近な自治体である市町村を単位に福祉の基本的な施策を展開していこうという時に、過疎の地域、小規模な市町村ではとても国が求めている施策は実施できない。財政的な問題以外にも人的な資源として多くの市町村ではなかなか対応が難しいことがあるからこそ、国が画一的な基準をつくっている面もあるのだろうと思うのですが、そのあたりはどうお考えですか。

浅野  まさにその試金石が介護保険でした。介護保険は待ったなしで、すべての市町村が実施主体にならなくてはいけなかった。今、2年経って評価をするならばまがりなりにも何とかやっている。それは、介護保険の中でさきほども少し議論になった財源があるからです。給付費の財源を使えれば、サービスの供給の主体は市町村行政でなくていい。社会福祉協議会や株式会社、NPOなど、いろいろなところでやっていく。また、宮城県にもありますが、市町村単位でなく、複数のところをカバーして株式会社をつくってやったりしている。まずは習うより慣れろ、やってみていただこうということですね。

山崎  介護保険では結構やれたのですね。

浅野  それを考えていくと、平成15年度から施行される支援費制度における障害者の在宅ケアのキーポイントは財源でしょう。財源なしでぽんと放り出されて、特に在宅サービスのところでどれだけ手厚い支援ができるかという課題があります。

山崎  そうなると介護保険の対象に障害者を加えるのが、次の改正の課題ですね。

浅野  私は、ベクトルの方向はそこだと思い定めています。制度論や政策論それから政治の動きの中でどうなっていくのかという流れはあるのですが、少なくとも今、俎上に乗せて本気で考えなければいけません。

 それから、市町村の合併の問題にもかかわってきます。サービスを提供する際には確かに小規模ではやりにくいでしょう。しかも介護保険のように業務は義務的に伴います。その時、本当につらいと思ったら、これをてこにして合併しましょうということになるかもしれないし、ならないかもしれない。介護保険では逆にそれなりにうまくいって、自己完結的にやれている部分が相当あるのですけれども、私は本来の合併の主旨とはそうあるべきものだと思っているんです。

山崎  そうですね。合併が先にありきではないのですね。

浅野  何のために合併するのか。それはまさに各論の部分で、合併しないとできないとか、合併したほうがもっといいサービスができるということを、住民も一緒になって考えた末に出てくる一つの結論が合併だと思うのです。ですから、いま小規模だからうまくできていないということではないと思います。

 それから、支援費制度に関連して言えば、今後は県社会福祉協議会の役割がさらに大きくなってくると思うのです。平成15年度から市町村が行なうにあたって、障害者への支援の実施部隊が乏しい。そういう時に誰の指導や指示を受けるかと考えると、県社協という存在は当然に大きく出てくる。障害者在宅サービスを行なう際の真の意味での支援や人材の派遣は、県という行政レベルでなくて社協だろうと思っていますので、そういう点でも県社協のてこ入れは急務であり、その課題は待ったなしだと感じています。

山崎  市町村と県の関係はいかがですか。

浅野  今までの県と市町村とのつき合い方については、もちろん指導の部分はありますが、実践の部分で頼られているのはある意味でお金だけという関係はいかがなものかと思います。他の分野も同様ですが、今のような県の存在意義は、突き詰めていくと経過的な性質のものだと思うのです。

 

◆「人生はまじめな意味で、楽しみたい」

山崎  最後に、もし厚生省にあのままおられたなら、その後の人生設計はかなりはっきりしていたかもしれません。しかし、今の知事職にはそういうレールはありませんね。今後はどのような人生を考えておられますか。

浅野  そういうふうに聞かれたときの定番の冗談めいた答えは、10期やってやめても85歳、です。4期やってと言うと現実性があり過ぎますから。でもこれは答えになっていませんね。

山崎  現職の知事としては退いた先のことは言えない立場にあるのでしょうが、浅野さんは余力を残して違う人生もやりたいと思っていらっしゃる感じがします。

浅野  それが何なのか、いつなのかはわかりませんが、確かにそう思っています。人生はまじめな意味で楽しみたい。それは世界一周旅行とかではなく、他の人から見れば仕事そのものなのでしょうけれどもね。

山崎  その仕事は全く別な世界のものかもわかりませんね。浅野さんはお話も上手だといつも感心しているのですが、今、ラジオのパーソナリティもなさっていますね。

浅野  好きですから。就職の時にTBSに電話したことがあるんですよ。「私、TBSに入りたいんですけど」と言ったら、「今年は一般募集はしていません」とガチャンと電話を切られました。冷静な自己認識はもちながらも、そういうことにも携われたらいいなと思いますね。

 障害者問題はもちろん、教育にも興味があるんですよ。社会的に意義の高い一つの核があって、元気なうちにさらにいろいろなことをやれたらいいなという夢があります。

山崎  本日はお忙しいところ、ありがとうございました。   

 


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