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朝日新聞 2004年11月27日
《私の視点》 ウィークエンド


三位一体改革

政府案黙ってはいられぬ


 国と地方の税財源を見直す三位一体改革に関する政府案が明らかになった。全体として地方が求めていた方向とは、かけ離れた内容である。何のための改革か。その最も大切な部分が抜け落ちており、大事な論点はすべて先送りである。

 地方分権や地方財政自立の目的はどこに消えたのか。 自分たちの力の源泉と思い込んでいる補助金分配権限を手放したくないという省益の前に、改革の大義がかすんでしまった。

 私は、厚生官僚から転じて知事になった11年前から、地方分権こそが、この国を救う道と信じて全力を尽くしてきた。今年8月の新潟市での深夜に及ぶ知事会を経て、3千を超える自治体は「まとまるはずはない」と言われながら、小異を捨てて大同について改革案をとりまとめた。

 それに対する回答が、この政府案では、国と地方とのあまりの距離の遠さにため息が出てしまう。もう一度問い直さなければならない。行政水準の確保を地域住民の健全な判断に委ねるのか、それとも霞ヶ関の官僚に丸投げするのか、と。

 地方案のとりまとめは、小泉首相から「3兆円の税源移譲に見合う補助金廃止リストを出してほしい」との要請を受けて始まった。

 その過程では、各省の安易な対応を見越して、「禁じ手」は使うべきではないと主張した。例えば、補助率の引下げは地方の裁量の余地を広げるものではないし、また、補助金の交付金化は配分権限を霞が関が握って離さないのだから改善にはならない。

 政府案では、その禁じ手が使われている。生活保護費の負担率の引下げは先送りになったが、国民健康保険の国負担の一部が都道府県に転嫁されているのがその一例である。

 義務教育費国庫負担廃止は事実上、先送りされた。 県に義務教育費の負担を任せたら教育水準が下がるとの主張は、地方不信そのものである。県費で運営されている県立高校の教育水準は、どの県でも確実に保持されている。国庫負担堅持の姿勢の裏側には地方軽視が透けて見え、知事としては黙ってはいられない。

 公共事業関係補助金が交付金として残されたことは、大きな失望だ。むしろ、義務教育費国庫負担金よりも優先して廃止すべき対象である。工事基準のしばりや補助金申請業務の手間ひまなど補助金行政の弊害が目立っているのに、三位一体改革の主役である税源移譲に結びつかないのでは話にならない。

 その税源移譲額については、内容不透明な義務教育費国庫負担廃止分を含めても、3兆円に遠く及ばない。しかも、「国民 健康保険関係7千億円」という大どころに代替させることによって、数多くの補助金つき施策を廃止リストからはずしている。改革の主眼は、こういった数々の補助事業を地方の自前財源の事業に振り替えることにあった。政府案からは無視され改革の大義は見えてこない。

 「地方案を真摯に受け止める」との小泉首相の言葉を信じた。しかし、政府案がまとまる段階では、首相は、積極的な出番を回避した。これでは、改革の趣旨や目的がかすみ、意味があいまいで先送りだらけの案になってしまうのは、わかりきったことである。

 既存の政治力学では根本的な解決が望めないのは当然であろう。だからこそ改革の最初だけでなく、締めの時点で小泉首相の明確なリーダーシップが絶対に必要である。首相と同じ「改革劇」の舞台に立っている地方6団体は、国民とともにかたずをのんで首相の決断を見守っている。


●この記事は朝日日
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