浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

 

2006年3月20日
朝日新聞 
時流自論  
執筆原稿から


霞が関は「わが社」意識なくせ

 防衛施設庁の官製談合事件で起訴された元技術審議官の今の心境はどうだろうか。競売入札妨害罪という罪の意識はあるものの、防衛施設庁という組織のための行為であって、個人の利益が目的ではないと自分に言い聞かせているかもしれない。

 「組織のため」とは、例えば、国家の安全保障に関わる機密書類を盗もうとした犯人を殴り倒したことで、暴行罪に問われた場合なら、使ってもおかしくない言葉であろう。しかし、今回の官製談合事件で断罪されているのは、組織構成員の天下り先の確保という私的目的の行為であり、「組織のため」ではなく、「組織ぐるみ」である。

 起訴された防衛施設庁元幹部としては、「組織のため」と固く思い込んでいるフシがある。そのことで罪の意識は軽くなると思っているのではないか。ここにこそ、組織の論理と個人の倫理の問題の根源がある。

 霞が関の各省庁には「わが社」意識がある。入省した役所には退官するまで勤め、その後も天下りなどで、その役所に長く面倒をみてもらう。「運命共同体」に近いわが社意識はこうして醸成される。

 省内での出世は、「わが社」と「わが社」の構成員の権限と幸福を最大限にすることに貢献することで保証される。その役所が国民に期待されている行政目的を達成するためにどれだけ貢献するかは二の次にされるような人物評価が「わが社」の中で行われるとしたら、国民の不幸は測り知れない。

 今回の防衛施設庁の官製談合では、天下りで受け入れたOB職員の給与合計額に応じて、各社に発注の割り振りがされたと聞く。かくして「わが社」の構成員への配慮は、退職職員にまで及ぶ。こうなると「わが社」ではなく、「一家」と言ったほうがぴったりくるだろう。

  起訴された元幹部は「わが社」の構成員のために貢献したのであって、自己の利益は図っていないという気持ちが強いだろう。しかし、一歩離れてこの図柄を眺めれば、組織ぐるみの犯罪にしか見えない。組織の論理で個人の倫理観が摩滅してしまっている典型的な例である。

 こういった事態はどうやったら防げるか。一つの役所に入省したら、退職するまでそこに留まって、退職後も面倒を見てもらうという人事慣習を改めることが第一であろう。職員は数年ごとの人事異動で、省から省へと渡り歩く。こうすれば、職員それぞれにとって、「親元」と実感される組織がなくなるので、「組織のため」に何かをやろうとする動機づけが解消する。天下りも、面倒を見る親元そのものがなくなるのだから、激減するであろう。

 情報公開の徹底も大事である。組織内の出来事が、「ばれないだろう」「漏れないだろう」と高をくくっているからこそ、官製談合の繰り返しという大胆不敵な行動になる。平均落札率がほぼ100パーセントなどという結果が公表されていたら、談合の存在を疑われることは必至である。情報公開は、組織の暴走に歯止めをかける抑止力として機能する。

 この時代、我々は、組織の論理と個人の倫理の乖離からくるさまざまな組織の病理を目にしている。防衛施設庁だけではない。ライブドア、耐震偽装、東横インなど、次から次へと事件は起こる。辟易する想いで事態の推移を見ているが、こういった病理の対極にあるのが、企業における社会貢献である。

  バブル期に企業の余技として行われていたメセナとは違う、もっと地に足のついた企業の社会的責任(CSR)が定着しつつある。私が会長を務める日本フィランソロピー協会が主催する今年の企業フィランソロピー大賞は、通信販売のカタログハウスが受賞した。この会社の「商品憲法」は「地球と生物に迷惑をかけない商品を販売する」など、「ビジネス満足」と「地球満足」を両立させるモデルの創造をめざしている。

 企業の社会貢献により、社員や消費者は、その企業が良き社風を持っていることを実感する。もたらされるものは、社員にとっては誇り、消費者にとっては信頼である。社会貢献のための活動は、企業にとって本業と全く離れたおまけではない。良き社風は帳簿に載らない資産であり、長きにわたって目減りすることがない。

 組織の論理と個人の倫理は、企業の社会貢献を通じて見事に一致する。自分の属する組織の論理が、単なる金儲けとか「株価時価総額の極大化」といったものを超えて、社会に対する貢献の重視であるということを知れば、社員は仕事を通じて自分の個人的倫理観を満足させることができる。自分の組織に誇りを持てる社員と、そうでない社員とでは、働きぶりに大きな差が出てくるはずである。

 営利を目的とする民間企業ですら社会貢献を重視するようになっている。官公庁は社会貢献こそが存在理由である。それなのに、その大義を忘れて、身内の天下り先の確保に組織ぐるみで狂奔し、犯罪すら起こすとは何たることだろう。まずは、社会貢献の出発点に戻るべし。そこに仕事のやりがいと生きがいを求めること、それこそが、官製談合などというさもしい所業に陥ることを防ぐ最大の防御策である。



TOP][NEWS][日記][メルマガ][記事][連載][プロフィール][著作][夢ネットワーク][リンク

(c)浅野史郎・夢ネットワーク mailto:yumenet@asanoshiro.org