浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

 

週刊エコノミスト
2006年12月25日臨時増刊号

《日本の針路


『良い道州 制』と『悪い道州制』がある


 道州制についての、私の立場をまず明確にしておこう。一言で申せば、「いいものらしい。しかし、慎重に」というものである。

 まずは、「いいもの」と思われているということがある。誰も反対できないような雰囲気さえある。道州制を導入すれば、地方分権が完成するし、行政コストも軽減できる。国と地方との関係をきっちりさせるための決定打のように受け止められている。だったら、誰も反対できないでしょう。そんな感じの議論のような気がする。

 議論の際には、まず確認しておかなければならない。例えば、「浅野さん、あなたは道州制に賛成ですか、反対ですか」と問われたとする。実際、そういう質問は少なくない。その場合も、「あなたの言う道州制とは、どんなものですか」ということがわからなければ、回答のしようがない。単なる県同士の合併なのか、米国の連邦制に近い制度とする制度論なのか、権限・財源を国から大幅に移譲された道・州を作ることなのか。それによって答は違ってくる。大体の場合は、上記の三番目の仕組みを意味する。その場合でも、国の組織と権能がどうなるかの絵柄を示して、「これが俺の言う道州制、あなたの意見はどうか」というような問われ方はほとんどない。

 「権限・財源を国から大幅に移譲された道・州を作ること」と理解することにしても、問題は残る。中途半端な移譲で終わってしまうのでは、今のままの都道府県制度のほうがよほどいいということになる。中途半端かどうかということがどういうことかわからなければ、北海道が特区のような形で先行する「道州制特区推進法案」の内容を見ればいい。本格実施ではないが、方向性は見える。この法案に見られる程度の権限・財源の移譲で「道州制の先駆け」というのでは、話にならないというのが私の見方である。

 「いいものらしい」と私が言うのは、「いいもの」と決めつけるには、内容を吟味する必要があるからである。当たり前のことだが、「いい道州制」と「悪い道州制」がある。どういうのが「悪い道州制」かというのは、一つの例として、前述のように、権限・財源の移譲が中途半端なものということがあるが、別な言い方で迫れば、その道州制の案を誰が作成するのかによって決まってくる部分もある。

 私が言っている「毒まんじゅう論」というのは、このことを指している。政府が主導して作成する道州制案への不信である。国と地方との関係を新たに決めるという道州制において、国に不利になるような案を政府自身が作るものだろうかという不信感である。政府主導で進められてきた三位一体改革が、「第一幕」の最後のところで、地方の裁量を広げるという本来の趣旨とは似ても似つかない尻切れトンボの数字合わせになってしまったという前例がある。政府が出してくる道州制案は、「毒まんじゅう」かもしれないのだから、「あん」の中身に気をつけないと、食べたら死ぬことになるぞというのは、洒落のようだがホンネでもある。

 

 道州制について、案としていいものを作ることはできるだろう。しかし、みんなが納得して同意するようなそんな案に到達するには、大変な労力と時間がかかる。そのことを踏まえて、「毒まんじゅう案」とは別の、もうひとつの懸念がある。

 霞が関の各省には、三位一体改革の第一幕を経験しただけで、もう三位一体改革はこりごりだ、これ以上進めるのは勘弁して欲しいと考えている人間はたくさんいる。こういう人間は、第二幕は絶対に開けさせない、開けても第一幕同様の茶番劇で終わらせたいと心に決めている。その場合どうするか。

 私なら、道州制の議論を持ち出す。国からも地方からも人を出し、知恵を絞り、どういった道州制の案にするか、どうやって実現していくかについて、徹底して議論しよう。道州制に移行してしまえば、三位一体改革で実現しようとしたことは、もっと徹底してできてしまうことになるのだから、三位一体改革の議論は今する必要はなくなる。棚の上に上げておこう。こういったことを言い出すであろう。そして、3年後か、5年後か知らないが、道州制の議論は、甲論乙駁で一つにまとめることができなくなったということになり、「道州制の議論は、ここまで」と終息宣言がなされる。その頃には、三位一体改革のほうは棚の上で腐ってしまい、二度と息を吹き返さない状態になっている。

 ここまで意地悪な見方をすることはないのかもしれない。しかし、言いたいことは二つある。一つは、道州制の議論を始めるからには、本気でやること。周りもその本気度を十分確認した上で関わっていくべきである。もう一つは、道州制の議論と平行して、三位一体改革の議論と実践は休まず続行することである。第二点目のことについては、「新・地方分権改革推進法案」の内容では、道州制は含まれずに、三位一体改革の第二幕を推進するという方向が明確になっているので、まずは一安心ということにしておきたい。

 

 道州制の導入に関して、私が特に気にかかるのは、これをどうやって実現していくのかの道筋が見えにくいことである。タイミングの問題と、政治的手順の問題とがあるだろう。

 道州制が議論され、提案されたのは、今回が初めてではない。これまで何度も本気で提案され、本気で議論されてきた。それが実現まで至らなかったのはなぜかを考えてみる必要がある。

  都道府県制度は、明治の初期に導入されて以来、県境が大きく変わることもなく、ほぼ手つかずで平成の現在にまで継続してきている。その一方で、市町村のほうとなると、明治の大合併、昭和の大合併、そして最近の平成の大合併を経て、数万を数えた市町村数が1800台にまで減ってきた。つまり、数次の合併を経て、市町村は大きく姿を変えてきた。

 都道府県制度から道州制へというのは、都道府県の改変を伴うという意味で、我が国にとっては廃藩置県以来の大きな制度変革になる。明治維新は一種の革命であるが、そんな契機を経ないでこれをやろうということになれば、膨大な政治的エネルギーを必要とする。

 政治的エネルギーは、どこから出るかと言えば、現状についてどうしようもない壁にぶつかったという感覚であろう。切羽詰った感とでも言おうか。市町村合併へと突き進んだ背景には、この切羽詰った感は存在した。「このままでは、わが町は財政的に行き詰まる。他の町と一緒になってやっていくしかない」という方向性が幅広く共有されていた。それが、政治的困難さはあっても乗り越えていこうというエネルギーを生み出すのである。都道府県制から道州制に移行するということを考えたときに、こういった切羽詰った感があるのかどうか。そこが大きな疑問である。

  道州制論議において、これと同等の行き詰まり感が広く共有されているだろうか。市町村合併がさらに進んで、一県の抱える市町村数が、軒並み一桁になったという状況なら、話は別であるが、現状ではどうだろうか。白地に絵を描くほど単純で、容易な道筋ではない。苦難の道であるからこそ、出発点において、「どうしても」という政治的必然性がないと、列車は自然には動いてくれない。

 平成の大合併で市町村合併が進んだとはいっても、市町村数は現在でも1820もある。例えば、東北6県の場合。平成の合併前には、合計400市町村あったのが、現在は232市町村である。仮に「東北道」ができたとすると、そこには232の市町村が存在することになる。一つの「道」が抱える市町村数とすれば、これでは多過ぎる。逆に、宮城県の市町村数は平成の大合併後で36であるが、こんな少ない市町村数では宮城県が県としての体をなさない、というまでにはなっていない。

 こういった状況では、道州制への移行を必然とするようなところまで至っているとは言いがたい。さらに数段の市町村合併が進まなければ、都道府県制でいることがおかしいというまでにはならないだろう。これが必然性という意味である。

  平成の大合併は、「道州制への移行を目指して」という趣旨目的で進められたものではない。実際のところ、平成の市町村大合併の趣旨について、国の説明も時間とともに変転推移したという感もある。「理念なき合併推進」とまでは言わないが、少なくとも、道州制への移行を照準に入れてのものであったとは言えない。タイミングの問題ということでいけば、道州制への移行が切羽詰った、必然性のある議論となるためには、市町村合併がさらに大きく進んだという時期まで待つことになるのではないだろうか。

 

 道州制の議論で足らないところはいくつかある。まず、地方の再編のほうは論議されているが、それでは国のほうはどうなるのかという点である。国の権限・財源を道・州に大幅に移譲することになれば、当然ながら、霞が関は解体的な再編を必要とされるはずである。国家公務員の数はどうなるのか、省庁の権限、守備範囲はどうなるのか。この点が方向性すら明らかにされないままの道州制議論という気がしてならない。

 もう一つは、国民全体を巻き込んだ議論である。現時点では、県民の多くは、道州制への移行に懐疑的である。北海道では、旭川市や室蘭市、帯広市など札幌以外の地方中核都市の衰退を食い止める意味もあり、逆に、北海道分都論まで出された経緯がある。地域に住む住民も、大方のところ納得し、共鳴し、一緒に進めていこうという機運ぐらいは出てこないと、道州制議論そのものが雲散してしまうだろう。

 三位一体改革さえ、数字合わせで第一幕を閉じてしまった状況である。こんなような状況で、国を信じていいのかという根本的な疑問さえ出てくる。道州制が、地方分権の究極の姿として描き出されるのだとすれば、まずこの時点で、政府全体の地方分権をなんとしても進めるという強い決意と、そのためのロードマップが示されることが先決である。それが見えてこない。言葉としての道州制ということだけしか示されていない。

 逆に、三位一体改革がなかなか進まないから、ここはいっそ道州制への移行で一気に権限と財源の地方への移譲を進めてしまおうという「作戦」もあるのかもしれない。しかし、それは大変に危険だと思える。なぜ三位一体改革が進まないのかを冷静に考え抜けばわかるように、霞が関の官僚たち、国会議員も含めた国として、本気で地方分権を進めようという決意がないからである。そういった抵抗を抑えて、三位一体改革を一気に進めていくための内閣総理大臣の強力なリーダーシップが行動の上で示されていない時点において、「三位一体改革がだめなら道州制で」というのは、安易というのを通り越して、危険極まりないのではないだろうか。

 

 この論考を読んで、浅野は道州制反対論者だと決めつけるのは待って欲しい。もう一度、冒頭の私の短い結論に戻ってもらいたい。「いいものらしい、しかし慎重に」ということである。どうせ導入するなら、導入してよかったと思える立派な道州制にしなければならない。それを実現するのには、多大の政治的エネルギーが必要とされることを肝に銘じて、断固として進めて行くべきものである。そういう意味では、私は道州制推進論者の一人ではある。簡単に考えてはいけないが、ひるんでもいけない。そういうことを言いたかった。


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