2009年4月号(通巻586号) 望む、こんな自治体職員 ●幸いなるかな、職員なる者 自治体職員にとって、いい時代の到来である。世俗的な意味ではない。自治体を取り巻く状況は、むしろ、厳しい。財政難であり、住民からの要望は大きいのに、自由に使える財源がない。給料は増えないし、仕事は忙しい。しかし、ピンチはチャンス。やるべき課題はたくさんあり、可能性は目の前に開けている。しかも、地方分権の時代である。新しい歴史を作り上げていく、時代の変わり目に、自治体職員であることの幸運を実感できる。 国の役人の作った施策を、右から左にこなしていくのが自治体の仕事という時代は、過去のものとなりつつある。その自治体らしい施策、政策が求められ、それが成功すれば、全国から注目される。「善政競争」とも呼ぶべき状況が展開しつつある。 自治体の仕事ぶりを国に教えてやる例も少なくない。住民の意見を施策に生かし、住民とのせめぎあいの中で自治体としての姿勢を正していく、「ほんものの民主主義」も、地方自治体であればこそ育っていく。情報公開、政策評価、マニフェスト型選挙といったことは、地方のほうが先であり、国に影響を及ぼしつつある。 そういったことに、地方自治体の職員は、主体的に関わっていくことになる。行政スタイルにおける新しい歴史を作っていくという手応えを感じつつの仕事に、喜びを覚えないはずはない。「おめでとう」と言ったのは、こういった意味からである。 ●「地道に」「こなさない」仕事を まずは、「足下に泉あり」。組織人にとって、人事異動はつきもの。与えられた部署と、そこでの仕事が、必ずしも自分の意に沿わないことはあろう。そこでの仕事をいやいやながらこなしつつ、次なる異動、昇進の機会を狙うという態度を「斜め45度見上げ症候群」と呼ぶ。苦しい受験勉強の後に、有名校進学のご褒美が待っているという、それまでの人生が、習い性となってしまっているとしたら、職業生活では、その習慣と決別すべきである。その反対に、自分の今の仕事に集中し、足元を掘り進んでいく。必ずや、おいしい水の泉が湧いてくる。いやいや仕事をこなしつつ過ごしても3年、目下の仕事を喜びを感じて過ごしても3年。足下に泉ありと信じて、仕事をしたほうが、豊かな職業生活になる。 「こなし仕事」に慣れきるな。仕事は回転寿司のお皿に乗ってやってくるイメージがある。ひとつのお皿を食べ終わったら、ベルトに乗った次のお皿が回ってくる。ベルトが止まると、食べる手が止まってしまう。たまには、自分で考えたレシピに基づいて、材料を買い込み、自分で料理をしたものを食べたらどうか。それが、自治体のプロジェクトである。自分の発想で、独創的にやる仕事であれば、ちょっとしたものでも、プロジェクトと呼ぶ。それを成し遂げた時の満足感をやりがいと言う。仕事の9割は「こなし仕事」だとしても、プロジェクトを成し遂げることこそ、自治体職員の醍醐味である。 ●職員としての豊かさ 人的ネットワークを獲得するためには、人間が寄ってこなければならない。そのためには、自治体職員として、魅力的でなければならない。目立つ存在である必要がある。匿名性で仕事をしているうちは、目立つ存在からは遠い。ある程度肩書きがついてきたら、人前でのスピーチをする機会が増えるが、その機会を生かすことも必要である。そういう機会に、原稿を読むだけの挨拶を披露するのでは、実にもったいない。たどたどしくてもいい。自分の言葉で挨拶せよ。むしろ、そこで失敗するぐらいだと、確実に名前を覚えてもらえる。そこから、人的ネットワークは広がる。 「ひいきすることも大事」。前例踏襲、横並びが自治体の仕事の中での基本のようになっている。判断をする職員は、「この件だけ認めることになると、公平性の観点から問題が生じる」と弁明する。時と場合によっては、公平性を覆す必要がある。それが「ひいき」と言われるとしても、突破口はそこにある。ひいきをするからには、まずは上司、そして世の中一般を納得させるだけの理屈を用意する必要がある。それが面倒だし、理屈で相手を説得する労力も大変だから、「公平性」に逃げるということはないか。新しいプロジェクトは、公平性の論理に一石を投じ、「ひいき」のそしりを受けないだけの論理とそれを通す勇気が求められることを忘れてはならない。 最後に、「感情豊かな公務員たれ」ということ。「公務員は、感情的であってはならない」の否定とは違う。怒るべき時には怒り、喜ぶべき時には、共に喜ぶ。そういった感情豊かな人間しか、友や隣人として持ちたくない。自治体職員は、良き隣人であるべきである。だとすれば、当然ながら、感情豊かでなければならない。 以上、思いつくままに挙げてみた。これらを実践すれば、世俗的な意味で出世が保証されるかどうかはわからない。しかし、確実に言えることは、地方自治体職員として仕事をすることができたことを、悔やむことは絶対にないということである。
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