浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

 

2010年11月25日
毎日新聞
《これがいいたい》

執筆原稿から

HTLV−1感染防止、政府は動き始めた
難病への国関与の突破口に

 HTLV-1ウイルスをご存知だろうか。日本全体で約108万人のキャリアがいると推定されている。ウイルス感染者は、ATL(成人T細胞白血病)やHAM(難病の脊髄症)を発症するが、その発症率はATLで5%、HAMで0.3%である。私自身、昨年5月、ATLを発症した。抗がん剤治療の後、骨髄移植を受け、現在は自宅療養中である。

 ATLは白血病の中で最も治療が困難で、毎年1000人以上の患者が亡くなっている。HAMは発症すると、両足の麻痺やしびれ、激烈な痛み、排尿障害などを引き起こす。しかも年々症状は進行し、治療法は開発されていない。

 HTLVウイルスの主な感染経路は、母乳を介した母子感染である。妊婦がキャリアであることが検診で判明した場合には、断乳をすれば赤ちゃんへの感染が防げる。HAMの患者さんを中心した「日本からHTLVウイルスをなくす会」(菅付加代子代表)は、この妊婦検診を公費負担で行うこと、病気についての研究開発、医療体制を拡充することなどについて、厚生労働省に対して精力的に要望を繰り返してきたが、なかなか成果を挙げることができないでいた。菅付さん自身が、HAMの患者であり、大変重い症状を抱えながら、鹿児島から東京に何度も通った。

 そんな努力が実を結ぶ機会がやってきた。この問題を官邸が取り上げることで、状況が劇的に展開することになったのである。

 きっかけは、9月8日に「なくす会」が菅直人首相に直接要望する機会を得たことである。その場でこの問題についての特命チームの設置が菅首相から示された。その結果、補正予算で公費負担による妊婦検診を開始する(妊婦健診にHTLV-1ウイルスの抗体検査を追加)こと、その他、治療開発研究を推進すること、相談支援体制を整備することになった。

 今まで、なかなか埒が開かない対策が、政治がこの病気に着目することによって、大きな一歩を踏み出すことになったのである。

 役人レベルでは、公平、平等、効率性といった基準に縛られて、「なぜ、この病気だけに特別対策が必要なのか」となりがちである。しかも、ATLもHAMも患者数としては少ない。B型肝炎、C型肝炎のようには注目されにくい。ところが、政治は狙い撃ちで決断ができる。今回のことは、その一つの現れである。これが突破口となり、他の疾病についても国の主体的関わりが期待できる。

 今回の国の対応により、先の道筋は見えてきた。今後の課題としては、まずは、この病気についての一般の知識を広げることである。この病気が医学的に認知されてから歴史が浅く、患者数も多くないことに加え、九州方面に多い風土病と考えられていたこともあり、医療関係者も含めて、病気そのものが十分に知られていない。そのために、病状が悪化するまで診察がつかずに、治療のタイミングを逸してしまうという例が少なくない。

 妊婦検診に公費負担がなされるようになったことは、HTLVウイルスを日本からなくす道が開かれたことになり、大変喜ばしい。一方、キャリアであることを知った妊婦には、授乳をするべきかどうか、世間の偏見にどう対処するかなどの不安が生じる。こういった妊婦への相談体制の整備は欠かせない。そして、患者として、何よりも急がれるのは、新薬の開発、治療法の確立であることを付け加えたい。


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