浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

 

2011年3月24日
毎日新聞夕刊
執筆原稿から

東日本大震災に思う

前向きに闘う姿勢を

復旧、復興に最も大事なこと

 宮城県をはじめとする東北各地が未曾有の大災害に見舞われた。津波による被害がすさまじい。家屋、田畑、港湾、船舶、車などの財産だけでなく、多くの人命が失われた。膨大な数の被災者が、避難所での不自由な生活を送っている。食料、水、生活用品、医薬品、燃料が足らない。安否確認もできない中で、情報が不足している。

 私が宮城県知事をしていた当時(1993〜2005年)、何度も災害に襲われたが、今回の巨大地震と大津波は、それとは次元を異にする。今やるべきことは、官民あげて、避難所にいる被災者を支えることである。その規模と期間は、途方もないほどだが、絶対にやらなければならない。その後は、完全に破壊され尽くした地域の復興である。こういったことを、一体、いつになったら完遂できるのか、ため息が出る。

 私自身のことであるが、2年前にATL(成人T細胞白血病)という極めて難しい病気になった。告知の後の一瞬の呆然自失の後、「闘うぞ、病気には絶対に負けない」と決意したことで、気持ちが楽になり、冷静に病気の治療にあたることに専念できた。今回の災害にあたっても、同じことがいえる。前向きに闘う姿勢こそが、復旧、復興への道である。

 大災害でなくしたものは多数あるが、一方で、勇気づけられることも起きている。津波に巻き込まれながらも「家族のためにも、ここで死んでたまるか」と必死にがんばって助かった人の姿は、神々しいほどである。避難所での生活が、整然と営まれていることも、一種驚きをもって受け止められている。パニックにならず、怨嗟の声は上がらず、食料配布の際には、整然と順番を待つ。

 災害に遭遇しても失わない気高い人間性、不屈の精神、文化程度の高さ、相互の思いやり、こういったことが印象的である。そのことが避難所生活の救いにもなっている。日本人として、誇らしく思う。

 被災地における自衛隊、警察、消防の活動ぶりは、特筆に価する。殉職者も出ている中での献身的活動に頭が下がる。海外からの支援は、涙が出るほどにありがたい。ボランティアの活動も、活発になっている。

 電力不足に伴い、首都圏では計画停電によって電気が止まり、公共交通機関も混乱した。だが、その中で文句や不平を言う人はいなかった。被災地の人たちの苦労を思いやって、このぐらいの不便さはどれほどのことでもない、という姿勢だった。

 天皇陛下のお言葉の中には「分かち合い」があった。支援するだけではなく、悲しみも、苦しみも、分かち合うのである。

 「3.11以後」は、すべてのことが変わる。国民の意識、政治のありよう、経済の営み、生活スタイル、人々の価値観も。その中で人間同士の連帯の絆が強固なものになる。逆に、そうならなければ、この未曾有の災害を乗り越えることはできない。

 「災いを転じて」と振り返って言えるようになる日を夢想しながら、今、それぞれができることを考えなければならない。


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