浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

 

2012年10月19日
自治日報
《自治

執筆原稿から

「地方自治の本旨」と道州制

 日本維新の会の「維新八策」の中には、「道州制を目指す」という項目が含まれている。「道州制の導入」に賛成することが、日本維新の会に参加する条件とも言われている。この他にも、道州制の実現を掲げて、検討を進めている機関、団体が多数ある。道州制は今の日本に漂う閉塞感を打ち破るものとして、その導入に大きな期待を抱いている人たちも多い。このような状況の中で、一度立ち止まり、改めて道州制について深く考えることが必要である。

 できあがりの形の道州制に大きな問題があるわけではない。東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県が一緒になる人口3,500万人の「超巨大州」は、東京一極集中の是正に逆行するなどの問題はあるとしても、地方分権を進める、国のかたちを改めるという言い方には、魅力がある。「できあがりの形」とわざわざ書いたのは、できあがるまでの過程では問題が生じる可能性が高いからである。特に、「地方自治の本旨」をどう守るかという観点から、論じてみたい。

 道州制は「国のかたちを変える」が、自治体側から見れば「自治体のかたちを変える」ものである。現在の都道府県は、道州制に伴い、合併・統合という形で再編される。全国を10程度の道州とする区割りは、誰が、いつ、どうやって決めるのだろう。

 地方自治法第6条第1項には「都道府県の配置分合又は境界変更をしようとするときは、法律でこれを定める」とある。過去に、この条項が発動され、都道府県の合併が強制された例はないが、道州制の実現の過程では、こういった「上からの合併強制」が行われる可能性はある。しかし、都道府県合併という自治体にとっての重要事項を、自分たち以外のもの(国)によって決められるとなれば、それは自治体としての自己否定につながる。この規定を発動することは、事実上、できないし、してはならない。

 となれば、都道府県は自らの意思に基づいて自主的に合併をすることになる。(平成16年の地方自治法の改正で追加された第6条の2が合併の根拠条文である。それ以前には、都道府県が自主合併をする余地はなかったことに留意) 合併は「相手のある話」であり、必ずしも、近隣の都道府県との協議がすんなりとまとまるかについては、平成大合併の際の市町村の混乱ぶりを思い起こしても、そう簡単ではない。合併協議がいつまとまるか、時期はまちまちである。最後の地区の合併が完成したところで、道州制がスタートするのだろうか。合併話がどうしてもまとまらない地区が残る可能性はある。その場合は、合併が成立して道州に移行した自治体と、従来の都道府県のままでいる自治体とが並存した形での道州制ということになるのだろうか。そういった事態を避けるためには、「上からの合併」を強制せざるを得ない。それは、既に指摘したごとく、自治体にとっては、自己否定そのものである。

 もっと大きい問題は、基礎自治体の再編成である。道州制においては、基礎的自治体に今以上の大きな権限を持たせることが前提である。現在の市町村の規模では受け皿としては不十分で、最低でも20万人規模が必要となる。そうなると、現在約1,800ある市町村を300程度、つまり六分の一にする合併再編成が不可避であるが、平成大合併の混乱を想起すれば、現実性はない。300が700としても、1,000としても、困難さは同じことである。かといって、上から無理矢理合併を強制するのは、自治体の自己否定につながるのは上述のとおり。

 「自治体のことは、自治体が自主的に決める」というのが、「団体自治」である。道州制の実現の過程において、この原則に反することがあってはならない。さらに、「住民自治」の原則であるが、自治体住民が、道州制の何たるかを正しく知った上で賛成しているのかどうかあいまいなところがある。そういった中で道州制を導入していいのかどうか。地方自治の本旨である団体自治と住民自治の観点から、道州制論議を見守っていかなければならない。


TOP][NEWS][日記][メルマガ][記事][連載][プロフィール][著作][夢ネットワーク][リンク

(c)浅野史郎・夢ネットワーク mailto:yumenet@asanoshiro.org