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2015年6月26日
自治日報
《自治

執筆原稿から

大阪都構想の住民投票の意義

 大阪都構想についての住民投票は、僅差で反対票が賛成票を上回り、大阪都構想は実現できないという結果になった。自治体の枠組みを大きく変える政策の可否を問うという内容のむずかしさ、大阪市の有権者210万人という規模の大きさは、これまでの住民投票の常識を覆す画期的なものである。住民投票の結果が出た直後の記者会見で、橋下徹大阪市長は「日本の民主主義を相当レベルアップした」と述べた。結果は橋下市長の敗北ということになったが、66.83%という高投票率で住民投票をなし得たことには満足できるということだろう。

 確かに、大阪市の有権者の3分の2が、真剣に悩み、迷いながらも、賛否の投票をしたことは、称賛に値する。投票した市民も「これが民主主義だ」という実感を得ただろう。地方自治の本旨である住民自治の原則にも合致する。「地方自治は民主主義の学校」(ジェイムズ・ブライス)という言葉の実践である。

 しかしながら、投票した市民の多くの気持ちの中には、生煮え感が残ったと思われる。有権者がマスコミのインタビューに答えている中に、「大阪都構想のことはよくわからなかった」というのが多かった。となると、橋下市長のカリスマ性に惹かれて賛成とか、大阪市がなくなるのはいやだから反対とか、そういった次元での賛否の判断になってしまう。

 大阪市議会において、大阪都構想についての議論が十分でなかったし、住民にわかりやすく内容を伝える機会が少なかった。これは、今回の住民投票にあたっての問題点としては一番大きなものである。選挙期間中に、選挙カーの上から「大阪市がなくなるのに反対しよう」とか、「大阪を変えるのは今しかない」といったキャッチフレーズで訴えられても、有権者の判断の参考にしようがない。住民投票を行う際には、事前に住民に対して、案件の内容だけでなく、問題点についても十分に説明する機会を持たなければならない。その役割をマスコミに託するだけでは不十分である。その場合、誰が、どのような形で説明するかも吟味した上で、その方策を確立しておく必要がある。

 このことから、憲法改正の国民投票について懸念を抱くのは、決して発想の飛躍ではないだろう。国会の両院の3分の2の賛成を得て、憲法改正の発議がなされ、国民投票に付される。条文について憲法改正の是非を国民一人一人が判断して賛否の投票をする。憲法を一度も読んだことがない国民が多数いる中で、こんな重大な判断をしなければならない。判断の材料としての情報やわかりやすい説明がない中で、有権者である国民が 感情だけで投票したり、有力者の圧力で投票するには、憲法改正は重大過ぎる問題である。

 憲法改正という問題の重大さとむずかしさは、大阪都構想の比ではない。憲法改正の発議から国民投票までに、十分な時間的余裕が与えられなければならない。その期間を国民への説明に向けることができる。誰が説明にあたるのかだが、普段から住民と接する機会が多い地方議会議員にその役割を期待してはどうだろう。住民にとって存在感がないと思われている地方議会にとって、「ここが働きどころ」として活躍すべき機会になるはずである。

 近い将来に憲法改正の発議がなされる可能性が高いが、国民投票を確かなものにするための具体的方策が何も決まっていない。このままで憲法改正の発議がなされることになったら、どうなるだろうか。住民への説明が不十分だった大阪都構想の住民投票の二の舞いになることが懸念される。

 大阪都構想の住民投票は、住民自治の実践であり、民主主義を住民が実感することができた。その意味では住民投票の実施には大きな意義があった。自治体の問題の解決にあたって、住民投票が有効な手段であることが広く知られることになった。具体的には、原発再稼働の承認にあたって、原発立地自治体での住民投票が実施されるべきことが、本格的に議論されることになるだろう。その意味でも、今回の大阪市での住民投票の実施は、地方自治のあり方を考えるうえで、非常に大きな意味を持ったことはまちがいない。  


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